広告を嫌わないで接して欲しい
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「広告」についての考察です。
広告は嫌われ者
「広告」という言葉からどのようなことを連想するでしょうか。
・消費者へのセールス
・クリエイティブ好きの遊び場
・誇大広告
・・・
あまり好意的には受け止められていませんね。
人によって感想は異なるでしょうが、私の周囲で「広告が好き」と言っている人は例外なく制作側のクリエイティビティに好意を感じており、一人の消費者として自分にメッセージが伝えられて役に立ったから好きというものではありません。
それでは広告の「クリエイティビティ」を取り除いて考えてみると「自分に伝えられるべきことが効果的な形で伝えられている」ということは本来嫌われるべきことなのでしょうか。
文章にしてみれば明らかですが、この機能は本来全く嫌われるようなものではありません。嫌われる要素とは
1.自分にとって必要なメッセージではないので邪魔なだけ
2.自分の好きなフォーマットではないので目障り
という2つになるかと思います。特に1の要素が大きいですね。
例えばとんかつを嫌いな人が町を歩いてとんかつの看板ばかり見たら目障りと感じるということです。
こう考えると1を取り除くために広告が目指すべき姿は20世紀的なマス広告ではなく、パーソナライゼーションが重要であることは明らかでしょう。この「広告業界側」の進化は一般的な消費者である我々とは無関係なところで起きるので業界の方々に進化は任せましょう。
文句を言ったところで広告はなくならないし減らない
それでは一人の消費者として広告、看板だらけの都市をリンクに貼ったように「私の可処分所得を~」「限定された私の視界スペースを~」というような斜に構えた態度で見てわざわざ自分で自分の気分を悪くするというスタンスと、「誰かが自分に対して莫大なコストをかけて物事を伝えようとしている」という行為を味わい深く解釈するかによって都市や画面に対する見方も変わってくるのではないでしょうか。
文句を言ったところで社会は微動たりしないので自分の見方を改めることで広告に溢れた都市・画面を文句を言いながら見るのか、味わい深いものとして見るのかは変わってくるでしょう。
変わらないものに対する文句は自分を不幸にするだけです。自分が嫌いで変わらないものがあるなら、その対象に対する文句を垂れ流すよりも自分の態度を見直すのが手っ取り早い解決策ではないでしょうか。