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時間を金銭に換算する試み

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「年収〇〇円の人なら時給換算して一時間は〇〇円の価値があり、一時間を短縮できるサービスを利用するために〇〇円払うことは妥当」

こんな話って結構ありますね。購買の意思決定をする際にそこそこ正しいフレームワークな気もしますが、違和感も結構あります。

時給換算方の妥当性検証

例えばタクシーを例に取ってみましょう。歩くと20分かかる所、タクシーなら5分。自分の時給換算時間価値は1時間2,500円。15分短縮出来るので約600円なら払う価値がある。5分乗るなら500円。妥当なのでサービスを利用する。

結構多くの前提が置かれていることに気づきます。

時間は「手に入れている」のか

「短縮」と書きましたが時間は生まれもしないし消えもしません。手に入れているのは時間自体ではなく移動を短時間で行えるという行為です。

時間を短縮したらその分生産活動を行うという前提

時給に換算して妥当性があるのは

・短縮した時間を生産活動に使う

・細切れにされた時間であっても一定の生産性を発揮できる

・生産活動が金銭的に評価される

という前提付きで成立します。

時短を追求し続けた結果

時短を追求し続けるとどのような生活になるでしょうか。効率化を追求し、移動のタクシー内でノートブックPCを叩き続け賃金の増加を図ることは人間として過ごしたい姿でしょうか。そういった生活をしていたときもありましたがありたい姿とは程遠い生活でした。

このように考えていくと時給換算法は様々な前提付きで成立しており、そのフレームワークの元、にKPIを最適化しても一般的に考えられるありたい姿からは結構離れた場所にあることが分かります。時間は貴重だ、という理解法の一つとして時給換算は有効性を持ってはいますが、この考えを支配的なものとして生活をすることは局所的にあってもよいですが、全体として目指す生活とは遠いところにあるでしょう。

我々は「時間」をどう評価すべきなのか

貧乏人も金持ちも共通で持っており取引不能なものが「時間」です。この「時間」は収益を生みだす原資として考えることも出来ますし、「幸福」を感じるためのものとして捉えることも出来ます。タクシーの議論で言えばタクシーに乗ってノートブックPCを叩く5分と気分のよい散歩をしながら移動する20分の比較で「生産高」を評価すれば明らかに前者がよいですが、個人として過ごしたいのは後者ではないでしょうか。

このように考えていくと「時間」は評価目的がない状況では非常に曖昧な概念ですね。

全く結論のない記事なのですが、時給換算法への違和感としての考察でした。