ゴールドマンサックス等5社転職を経験した社員が語る「外資系の生き抜き方」
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先日、約30年でゴールドマンサックス等外資系を5社渡り歩いた倉澤氏にその経験から「どのように外資系で生き抜くか」について多いに語っていただきました。
時代は違えど、
・これから外資系に就職、転職する方
・現在外資系に在職中で今後のキャリアを考えている方
は必読です。
転職するか否か、今考え中という方は必ず以下の記事をご覧頂き、自分の転職が成功する転職なのか、失敗する転職なのかを判断してください。
主な内容としては以下のものです。
・所属した会社と転職理由(コメルツ、ゴールドマンサックス、ジョンソンコントロールズ、S&P、外資系生保)
・30年前にどのように新卒外資金融へ?
・就活時に持つべきであった視点
・転職すべきか否かの判断
・生き残る、成功する社員/短命に終わる社員
・外資系では必須!ヘッドハンターとの付き合い方
・外資系の貯金
・45歳が暗黙の定年!ポスト外資系の過ごし方
・アメリカ金融が世界に中心になった背景
・前向きな組織の作り方
盛りだくさんですね。大いに語っていただきました。
- 30年前、駒沢大学からコメルツバンク(ドイツ系)のバックオフィスへ
- ポイント:ブランドだけで会社を選ぶな!
- ゴールドマンサックスに転職した理由
- ゴールドマンサックス名物一斉解雇を経験し、バンク・オブ・ニューヨーク・メロンへ転職
- 暗黙の定年45歳にどのように備えるか
- 年収の推移をぶっちゃけ教えて下さい!
- 実は20代の頃から副業でヘッドハンターをしていた
- サイドストーリー:アメリカのダイナミックな雇用体系は何故生まれた?
- 勤務先が買収され事業会社にひとまず転職
- ダイナミックな雇用はITにも普及している
- 流動性が増す環境を生き抜こう!
30年前、駒沢大学からコメルツバンク(ドイツ系)のバックオフィスへ
元々は総合商社に行きたかったです。地球の裏側に行って鉱山を回って日本経済に貢献して、という像を夢見てました。
しかし、悲しいかな総合商社の足切りは厳しく駒沢大学ではその壁を突破することは出来ませんでした。
その次に考えたのが外資系でした。当時は学歴よりも語学力が重視され、英語が話せる学生も今と比べるとかなり稀でしたので自分にとっては入りやすかったです。
学生時代はESSに所属しており外国人観光客のツアーガイドなどやりながら英語を覚え前下。
外資系では日本の会社のように1から教育する体制はないので語学は必須でした。
ポイント:ブランドだけで会社を選ぶな!
今になって考えてみれば総合商社が難しければ準大手や専門商社を見るべきでした。学生の視点というのはかなり狭く殆どの人は私も含め
・ブランド、世間体
・平均年収
・安定性
こんなところを見て選んでいるのではないでしょうか。
転職もそうですが、ブランドや条件だけを見る人は長く続きません。
活躍する人というのは仕事に強い愛着があり、職場に寝袋を持ち込んでも働きたい、そんな人です。転職でも就職でも企業のブランドや条件ではなく仕事自体に目を向けて欲しいと思います。
学歴フィルターが緩めであったとはいえ当時、同期は京大や一橋などの優秀な学生でした。
こんな人らと正面から戦ったのでは勝てないと考え主に2つやりました。
1つは人の二倍努力する。
量は裏切りません。様々な仕事を引き受け、とにかく働きました。
気を効かせて自発的に仕事をする
言われたことのみをしていたわけではありません。
例えば当時の新聞に銀行支店長の毎日という記事があったのですが、それを英訳して外国人上司の元に持っていっていました。
こうした取り組みが評価され、同期の中ではトップで課長に昇進することが出来ました。
この銀行には累計12年間いましたが2000年頃、ゴールドマン・サックスへ転職しました。
ゴールドマンサックスに転職した理由
当時は金融ビッグバンが進み、free,fair,globalという言葉の元、改革が進んでいた時代でした。
様々な金融商品が生まれていたのですが、全ての主導はアメリカです。
金融革命がアメリカから進んだ理由
何故、全てアメリカからだったかというと1つは規制。
日本や欧州の金融機関が規制でがんじがらめで自由な商品を新たに生むことは出来ませんでした。
特に日本の金融機関はバブルの崩壊による不良債権回収で虫の息状態です。
もう一つは金融機関自体を含む全体的な経済の動きの速さ。
ウォール街はそれこそ生き馬の目を抜くと言われる速さでビジネスが進みますが、それと比較すると欧州系や日系の金融機関など地銀のようなものです。
その体制の中でウォール街についていくことは困難でした。
また、所属している人の特性もあるかと思います。
昔からMBAのトップスクールでトップの成績を収めた人はアメリカの場合は
戦略コンサルティング、投資銀行、ベンチャーへ行きます。
この御三家はずっと変わりません。
特にアメリカの教育システムではクリエイティビティが重視され、そのトップの才能を持った人間が投資銀行には集まっています。
これが原動力の一つであると思います。
日本との比較
それに対して日本の場合はどうでしょうか。
日本の場合は短時間で知識を詰め込み高速でミスなくプロセス出来る人間がトップエリートとなります。
その進路は商社、銀行、官僚でした。
教育のみならず就職先もクリエイティビティによってではなく、ミスのなさが評価されるような組織です。
さらに長期に渡り雇用を維持し、年功序列により給与が決まることも特徴です。
その中ではクリエイティビティを発揮しのし上がるよりも60歳まで安定した環境で勤務するインセンティブを個人は持ちます。
このような違いがアメリカと他の国の金融機関にはありました。
その環境の中でドイツ系の銀行はドイチェバンクくらいしか生き残ることが出来ないだろうと考え米系の投資銀行であるゴールドマンサックスの不動産・総務部門へ転職しました。
*不動産とはゴールドマンサックス自体のオフィス管理を行う業務であり不動産投資ではない。
ゴールドマンサックス名物一斉解雇を経験し、バンク・オブ・ニューヨーク・メロンへ転職
ゴールドマン・サックスの平均勤続年数は3年程度でした。
長く務める人もいますが50人に1人程度で、5年いたら化石と言われるほどです。
ゴールドマン・サックスにもいわゆるUp or Out(昇進しなければクビ)があり、5年間は同じ職位にいることは出来ません。
さらに3年毎に定期的なリストラがありました。
私のいた総務部門では27人がいたのですが一気に9名がクビになり、私もそのうちの一人でした。
当時41歳で子供も3人おり、暗澹たる気持ちで転職活動してましたね。
転職エージェントとの継続的な付き合いにより憂き目を逃れる!
我が家にはBCP(Business Continuity Planning、要はどのように食いっぱぐれず生きるか)を用意しており常に転職エージェント50社くらいの担当者はリストアップしておりました。
この担当者にすぐにコンタクトを取り転職活動をはじめました。
転職エージェントとは仲良くしたほうがいいですね!
ゴールドマンサックス等に転職するためのエージェントとの出会い方
良質な転職エージェントと会うには会員制求人サイト『BIZREACH(ビズリーチ)』
がおすすめです。
登録されているエージェントは厳しい審査があり、またアプローチが来る場合も突然の電話ではなく
・ポジションの説明
・エージェントの実績
を見ながら会うエージェントを選ぶことが出来ます。
何も分からないまま知名度のあるエージェントと会うよりもよい求人と会う確率を大きく上げることが可能です。
リクルートエージェントとDodaは求人数が別格、ひとまず登録は間違いない
私は「ひとまず会う」という転職スタイルはあまりに効率が悪くおすすめしませんが、リクルートエージェント、Doda、 マイナビエージェントは持っている求人数が圧倒的です。
各社強い営業力を持っており、求人を出しているところにはすぐにテレアポを行います。採用側にいると驚きますね。
彼らが持つ営業力を考えれば納得ですね。
ここはキャリア相談に来る場所ではなく求人を探すための場所です。
有人ナビだと考えて下さい笑。
リクルートエージェント、Doda、 マイナビエージェント はよほど特殊な職業でない限り一度面談したほうが転職のためには無難です。
優秀な人が生き残るとは限らない
ゴールドマンサックス等で何回かの大リストラを見ていて、さらに自分も経験して思うことですが優秀な人が生き残るとは限りません。
いくら「優秀」であっても最後に生き残っていたのは外国人上司受けがいい、体力がある、コミュニケーション能力がある、とにかく人に好かれる人でしたね。
一括りに言えばヒューマンスキルが高い人です。
暗黙の定年45歳にどのように備えるか
外資系金融では暗黙の定年が45歳と言われています。
この年になると、年収も上がり相当なポジションにいない場合は会社にとってお荷物なので何かと理由つけてリストラします。
株式市場では3年に1回ほど暴落があり、それが理由にされる場合もありますね。
その代わりに二倍働き給与も安い若者を採用します。
この業界にいる場合はこの年齢に備えなくてはなりません。
40歳を過ぎた外資系への転職ではアソシエイトのポジションはなく必然的にマネージャー、バイスプレジデント、ディレクターなどでの転職となります。
45歳以降はどうする?
3つ主な選択肢があります。
1.日本の金融機関
2.個人事業主
3.他業種
1が一番ハッピーシナリオですね。
年収は下がりますが、60歳まで比較的高い給与で働ける保証がされ生涯賃金で見ると最もハッピーですよね。
ただし日本の金融機関は若いスペシャリストにはオープンな場合も増えましたがシニアポジションの転職では数は多くないため狭き門ではあります。
2はピンきりですね。
成功した人はゴールドマンサックスの同僚で総務系のアウトソーシング会社を興した人がいました。
この会社は3年で50名、5年で100名と成長し、同僚の中で一番成功しています。
他にはフリーランスの通訳者やヘッドハンターなど色々です。
3最後は他業種、年収は1/3くらいになります。専門も活かせないですし、激減ですね。
ヘッドハンターてぶっちゃけどう?
よい年であれば2,000万円くらい稼げます。
あまり下手打ってると4,500万円くらいですね。
ちなみに自分が前線を退いて後援に回るわけでプライドは保つことは出来ませんが生活のためですので仕方ありません。
45歳は住宅ローンや子供の教育費などで一般には一番金がかかる年齢ですからね。
年収の推移をぶっちゃけ教えて下さい!
コメルツバンクで年収1,000万円ほどまで上がりました。
ゴールドマンサックスは1,500万円程度。
バンク・オブ・ニューヨーク・メロンは2,000万円がピーク。
1,000万円台後半のときが多かったです。
実は20代の頃から副業でヘッドハンターをしていた
土日の空き時間には人材会社からリストを貰い副業でヘッドハンターをしていました。
そのリストに片っ端から電話をし、SE、プログラマ、回路設計者等のエンジニアの転職支援です。
転職に成功するとその人の年収の1割が自分の手元に入りました。
本業も頑張ってましたが、仕事は好きでしたのでこの副業もがんばれましたね。
当時、自分のような副業サラリーマンが10名ほどいましたが常に成績はトップ。
そのコツは「下手な鉄砲も数打ちゃ当たる」、つまり量です笑。
この副業のおかげもあり、20代で8,500万円の新築が買えましたね。
人事部長からは大いに怪しまれました笑
サイドストーリー:アメリカのダイナミックな雇用体系は何故生まれた?
株主資本主義が進んだ結果だと思いますね。
変化は1980年代のレーガン時代だと思います。
当時繁栄していた企業はGM、アルコア、フォードなど重厚長大産業。
雇用体系もGood old americaというスタイルでおっとりしていました。
レーガン時代に87年のBlack Mondayまでは経済は絶好調でMake Moneyが全てという雰囲気が蔓延しだしましていました。
徐々に規制が緩和され、株主資本主義が進むと株主から経営の委託者である経営者が従業員をコマのように使い始め全てが株価向上に向かいます。
経営者にとっての最大のプレッシャーは株主総会になりました。
そして追い打ちをかけるのが2000年のITバブルです。
株を使って短期間に儲ければよい、という考えが金融機関のみならず製薬や製造業にも普及していきました。
勤務先が買収され事業会社にひとまず転職
バンク・オブ・ニューヨーク・メロンが買収され、総務チームが激減。
ひとまずジョンソンコントロールズという事業会社に緊急転職しました。
ここはビルのファシリティマネジメント会社でシスコに派遣されファシリティマネージャーをしていました。年収は1,500万円以上あったところから800万円と半減。
生活も変わってきつかったですね。
ヘッドハンターとの関係性がここでも助ける!
ヘッドハンターとは継続的に連絡を取り続けており、声がかかりS&P(金融商品等の格付け機関)に転職することが出来ました。
年収も1,400万円に戻すことが出来ました。
本当にヘッドハンターとはよい関係を築いていてよかったと思います。
先程もおすすめしましたが、私がおすすめする転職エージェントの使い方は二段階です。
1. リクルートエージェント、Doda、 マイナビエージェントに登録し求人を見る
正直に言えばエージェントという個人の質は低いが求人の数は圧倒的に多い
2.『BIZREACH(ビズリーチ)』で会うエージェントを選び質の高いエージェントと会う
S&Pから外資系生保へ
今は外資系生保でフルコミ(完全成果報酬)の営業をしています。
S&Pを短期間で辞めた理由は社長とあまり馬が合わなかったからですね笑
CitiでM&Aのヘッドをしていた社長で非常に厳しい人でした。
在籍時はMOF担(財務省対応)、総務両方担当しておりこの年令になってからとても忙しかったです。
外資系生保は営業職ですが、これを選んだ理由としては「営業」という職についたことがなく、一度やってみないと後悔しそうと思ったという理由です。
趣味で婚活パーティーを数十回も開催しており人をつなげる、新たな人と会う、そういった営業的な職に適正もあるのではないかとなんとなく感じてもいました。
貯金はしておけ!
この業界で働くなら私は若手には給与の半分は貯金しておけ、と言っていますね。
同年代の中では高給なので無駄遣いしてしまいがちですが、そうすると年齢が上がったときのライフプランが不安定になります。
私はクビになった際にパッケージ(退職金)が結構出ていたので45歳時点では住宅ローンも完済しており貯金も1億くらいはあったためそれなりに気楽でした。
ダイナミックな雇用はITにも普及している
業界のトップ企業であればあるほど米系の企業はダイナミックな雇用体系となっています。シスコでも下10%は必ず切られていました。
これはJ&Jや他の企業でもそうでしたね。
生き残り競争が激しいです。
Something Specialを持て!
このような環境の中で生き残っていくためには特別な何か(Something Special)が必要とよくいっています。
特にヒューマンスキルを磨こう
私が仕事をしている中で時代の大きな変化は単純労働の消滅です。
例えば以前は短大卒の事務員が事務作業に当てられていましたがPC、エクセルの普及によってこの職業自体なくなってしまいました。
私の妹は短大卒であったのですが、大学自体が消滅しました。
これは衝撃的でしたね。
現在も例えば金融機関はトレーディングの自動化を進めトレーダーを減らしています。
一方でトレーディングアルゴリズムを開発するエンジニアは雇用を増やしています。
このように自動化は特に金融系では止まること無く進められていっております。
その中で代替されない人間の能力とはヒューマンスキル。
人から好かれる、気が利く、頭の中のイメージを自分の言葉で簡潔かつ的確に表現出来る。
そのような能力は代替可能性が薄く時代が変わろうとも生き残っていけることでしょう。
チームを前向きにする
会社の業績に貢献しようと思ったら組織をポジティブな状態に変える必要があります。
他人の意見を批判し、笑顔もなく、愚痴だらけ。
このような組織からクリエイティブな発想は生まれません。
アメリカンに表現すればフォワードシンキング。
異質な考えを受け入れ、ポジティブな気分で自分、組織を満たしアイディアや活力を生む。
このように人を動かす能力がリーダーにとっては必須です。
流動性が増す環境を生き抜こう!
さていかがでしたでしょうか。
ご存知の通り、30年前とは雇用環境も大きく変化しており、転職の一般化、日本企業でもリストラ、フリーランスの普及、このように雇用がダイナミックになっております。
日系企業に勤めている皆さんも無関係ではいることは出来ません。
学びは多かったですが、いくつかの点を取り上げるとすれば以下のものですね
・ヘッドハンターとは常に連絡を取り続ける
・ヒューマンスキルを磨く
・量は裏切らない!
・貯金はしておけ!
ヘッドハンターの使いこなし方
私がおすすめする転職エージェントの使い方は二段階です。
1.リクルートエージェント、Doda、 マイナビエージェントに登録し求人を見る
正直に言えばエージェントという個人の質は低いが求人の数は圧倒的に多い
2.『BIZREACH(ビズリーチ)』で会うエージェントを選び質の高いエージェントと会う